なにやら天気も良く、トイレマットやら足拭きマットやらを洗っているmorrowです。皆さんの空は晴れていますでしょうか?
さて回を重ねました当ブログ『ため息も、鼻から出せば深呼吸』。そろそろ本題に入らなければなりません。なにが「本題か?」と申しましても、そのような大上段なことはなく、だがしかし、このブログを立ち上げてくれた相方の誠意にも応えたく、すこしお話しを聞いていただきたいのです。
まず、なにゆえタイトル『ため息も、鼻から出せば深呼吸』なのか。
私が個人的に嫌いなもののひとつに“ため息”があります。これは他人のため息もそうだけど、それよりもっと嫌いなのが“自分のため息”。大きなため息をついたあと、いつにもまして自分が嫌になる。「自分は何様のつもりなんだ」って。「疲れてるのは自分だけじゃないだろう」って。
そこでまず最初に思いついたのが「ため息を短く切る」です。つまり「ふーーーーー」と長く出るところをラマーズ法のように(あってるのか?)、「フッ、フッ、フッ、フーーー」とそれぞれ短く切るわけです。そうするともし他人に聞かれても「呼吸が乱れているの?」「鼻歌?」とごまかせるんじゃないかと。お、ナイスアイデア!これならイケるんじゃないか?でも実際やってみると、それはまさに「短く切ったため息」以外のなにものでもなく、最後の「フー」に、「てやんでいちくしょうめ、どうしろっていうんだい」という節が出てしまうわけです。
・・・。いかん、これでは解決になっていないじゃないか。一番の解決策はため息をつかないこと。でもなぁ、出ちゃうんですよため息。自分では如何ともし難いこと、自分自身が、どうしようもなくて赦せないこと。これでも「何ゆえ自分は自分なのか」ということを考え続けている質でして、ずっとその答えが欲しくてもがき続けている永遠の尾崎豊なのですよ。(ファンの方ごめんなさい。ほんとうは私の全てであるsionの名前を出したいのだけれど、知らないでしょ?)
そんなことを長く考えていて、ある日ふとあくびを止めるように口を閉じてみたんです。するとため息が鼻から抜けていく。おや?これは“深呼吸”になっていないか?もう一度やってみる。
「すぅーーーー、ふーーーーーーー」。
深呼吸になってんじゃん!これは素晴らしい!大発見だ!嬉しくて何度もしましたよ、ため息ならぬ深呼吸。そうすると、不思議に気持ちが前向きになってくるんですね。「なんでぃこのやろう」が「くよくよしたってしょうがない、自分で進まなきゃ誰が進める」に変わっている。
答えのひとつは、こんなところにあったんだと思いました。もちろんいまでもため息はつきます。気をつけてないと“本物のため息”をついていることも。
でも、です。
まえむき。ぽじてぃぶしんきんぐ。そういうのってどこか嘘くさいなと思います。でもな、それが光になるなら、力になるなら、なんだって味方につけようじゃないか、と思った次第なのであります。
そこで、『ため息も、鼻から出せば深呼吸』。
長かったなー、ここまでくるの。この章は、敬愛なる相方に捧げます。
ご清聴ありがとうございました。
ふー。
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